この4月で、ボーンフリーは51年目を迎えます。みなさまの長年のご愛顧、本当にありがとうございます!
そこで今月のスタッフヴォイスは、創業者の堀江 明廣会長と堀江 達哉(3代目)社長の対談をお届け!ボーンフリーの昔と今、そしてこれからのことなど、たっぷり話してもらいました。実は初の親子対談。どんな話題が出てくるのでしょうか?
今回、まずは親子のツーショット撮影からスタートしました。
親子で写真撮るのって何年振りくらいですかね?もしかして初めてですか?
堀江(あ):ないねぇ…。
堀江(た):ないですね。ちっちゃい時もないんじゃないですかね?
凄い!これはもう、家宝にしてください(笑)親子のエピソードとかあったら教えてください。あんまり会長はお家にいなかったんですよね?
あ:うーん、ほぼいなかったね。
た:でも年に1回は旅行に行ってましたよ?最後の方は恵那(会社の保養所)がほとんどでしたけど、小学生くらいの時は鈴鹿サーキットに行ったりとか。それくらいしか僕は記憶がないですね。基本的には仕事してましたもんね?
あ:僕も、それくらいしか記憶がない(笑)
た:ですよね…(笑)
あ:僕は仕事だと思って仕事をしてないんで、仕事で家の事をかまけているということではないつもり。そうじゃなくて、やりたいことをやっていたら、家の事をほっといたっていう形(笑)
まさにボーンフリーですねぇ(笑)今年で51周年目ですが、51年やってきてどうですか?創業から今まで、どういう思いですか?
あ:僕は前線から外れているので、今はそんなに考えることはないですね。少なくともこれからの人の邪魔だけはしないでおこうという気持ちではいますよ。元々自分でやってきたから、自分の思う通りにならないと気が済まない方なんですけど。藤野さん(2代目社長)に社長をやってもらった時は、まだ我があったかな。でもここ1、2年前からは、とにかく自分が表に出ること自体が悪みたいな感覚を持っていたので、だから一切そういうところには出てないですね。
そうなんですね。なぜそう思うようになったんですか?
あ:他の人がやりにくくなるだけでしょ?今更僕が前に出ていったところで、どうしようもないんでね。
堀江さんはやりにくいですか?
た:全然大丈夫です。
あ:それは僕が大人しくしてるからでしょう(笑)。僕がああだこうだ言ってたら、絶対やりにくいと思うよ!
た:ははは(笑)
このインタビューの前に堀江さんから、堀江さんは会長のことをプライベートでも「会長」って呼ぶと聞きました。お父さんとは言わないんですか?
あ:会社では、絶対に言ったらあかん言葉やねぇ。ボーンフリーを立ち上げる前、田舎の結構大きい布団屋さんに勤めていたんだけど、そこは夫婦でも「社長」と「専務」としか呼ばなかったし、タメ口も一切しなかった。それで勉強させてもらいましたね。
た:だから入社した時は「仕事上では絶対あかん!」ということになって。最初のうちは家の中では普通の呼び方やったんですけど、でもそのうち家では親子でも、仕事では上司と部下っていう使い分けが器用にできないから、「もう統一しよう!」って会長が言って。なので、家でも基本的に「会長」って呼びますし、敬語ですし、今でも大体そうですね。家で喋ることがあんまりないですもんね…まず(笑)
あ:別にそれは特別な意味があるわけではなく、呼び名だけの話なので。あんまり深くは考えてないな。
会長は前線から退いてから、今のボーンフリーを見て思うところはありますか?
あ:僕の時代は、とにかく自分の思った通りにならなかったら気に入らん方やったから。なんとか思った通りになるように、例えば会議にしたって何にしたって、ちゃんと根回しをしておいてから会議をすると。だから物事を進める前に、賛同者を先に得ていたけど、たぶん今はそうじゃないと思うね。自分で考えて、持ち出して、それをみんなで考えるっていう。僕の場合は、自分の考えをどう浸透させるかっていうことばかり考えていたので、そういう意味で夜よく飲みに行くっていうのもあったんじゃないかな(笑)
あ:その頃やったら、終わるのが24時25時っていうのが普通やったからね。昭和人間の特徴なので。平成だとかそれ以降の人たちは、そんなことでは人はついてこないと僕は思っているので。だから僕はとにかく何も言わない。言うとしたら、自分が経験して良かったかなと思う事を言うだけで、あとはそれを聞いてどうするかっていうのは、今後の人がやることだと思ってますね。
人についてきてもらうために、昭和の時代はそういう動き方だったということですね。
あ:あの頃は号令一発ですよ。全てが。でなかったら、組織が動かなかったというか。そこへ追い風になったのは、やっぱり右肩上がりの経済成長やからね。給料も勝手にどんどん上がるし。そういう時代やったからそれもいけたと思うけど、今の時代はそういうわけにはいかないので、僕のやり方では通用しないと思いますよ。
それを受けて、堀江さんは今のやり方についてどうですか?堀江さんスタイル。
た:そうですね。確かに会長はやっぱり一代で作ってこられたというのもあって、僕もバイヤーをしていたからよく思いますけど、本当に社内外ともにやっぱり「会長が凄い」っていうのは誰もが言うんですよね。で、「やっぱりボーンフリーさんは堀江 明廣が凄い人で」っていう。凄いっていうのは、人の魅力的に凄いっていう意味で。
た:で、そういう風にやってきてはって、僕はそれができる自信は全くなかったので、僕は僕のやり方で、僕らしくみんなに認めてもらって、しっかりやっていかないとなっていうのがありましたね。会長みたいに号令一発でっていうのでできる自信がないから、今のやり方でやっています。でも僕もやっぱり「こうしたい、ああしたい」っていうのが結構強いタイプで、人に言われても「やっぱりこれしたい」っていう時はそれを通したくなりますけど。だから事前の根回しっていうのは、本当に大きな時はしますけど、基本的には根回しなく会議の場でしっかりと喋って、フラットな状態で理解してもらいたいと思っています。
随分変わってきましたね。その中で、ボーンフリーイズムみたいなものは継承できたと思いますか?
た:何をもってボーンフリーイズムって言うかですね(笑)会長の「飲む」っていうのだったら、継承できていませんね(笑)
た:ただ、僕が小さい頃から「お客様が凄く大事」だっていうのは、そんなに会話する機会が少なかったとはいえ、常々言っていたので。それを改めてもう一回ちゃんとやりたいなと、強く思っていますね。
会長、「お客様目線でなんでも考えろ」ってずっと言ってましたもんね。
た:今まではずっと当たり前のようにできていたんですが、ここ10年ほどでそこが弱まってしまったのかなという危機感がありますね。利益よりも何よりも、お客様が喜んでくださったら結果として絶対に利益に繋がるので。小手先の技術で売れる方法を考えたところで、長続きしないやろうなとは思います。
SDG’sじゃないですが、持続可能と言っても会社が無くなったらやっぱり終わりですからね。そう考えると、会長のやってきたようなことはSDG’sだったなと思う時がありますね。結果的にお客様や地域に還元できるようにやってきて、続けてきたことが持続可能っていうことなので。
た:ですね。
あ:10年ちょっと社長をやってもらって、藤野さんはやっぱり大きく舵を取るには物凄く重要なポジションやったと思うんですよね。僕はそういう意味では感謝していますね。だってそれまでは、僕の言うことを聞かなかったらダメ!みたいな方向で来たから。
あ:藤野さんが良かったのは、現場の人じゃなかったから。販売も少ししてはったけど、店にずっと立っていることはなかったので。だから外側から物が見られた。僕たちは内側からしか物が見られないので、そういう意味では全然ダメだったなっていうのは思うかな。だからこう、上手く繋がっていったかなっていう気がしますね。
た:それはほんまに感謝してますね。やっぱり、会社が伸びていったけど、そのやり方ではちょっとしんどくなっていってっていう時に、藤野さんが社長を務めてくださって、スクラップアンドビルドから始まり最後はコロナ禍で終わるっていう、一番しんどい10何年という期間をやってくださって、それで次の50年に向けて再スタートする土台が整ったというか。あれは藤野さんじゃなく、たぶん会長が社長のままやっていたら、下手したら突っ走ってなんかね、怖かったですよね。
あ:(笑)
た:イケイケで(笑)僕はそう思ってるんですよ。藤野さんがあそこで一旦見直して、中身を綺麗にしようっていう方向で動いてくださったので、今があるんやろうなっていう。
それで仕切り直して、今からお客様目線でまた積み重ねていくっていうことなんですかね。
た:そうですね。それは思います。
あ:お客様っていう言葉が良いのかどうか分からないけど、商売だけに限らず全てのビジネスっていうのは、それを受け取る側が満足しなかったら絶対前に進まないでしょう。だから物々交換から始まって、物々交換って自分の一番大切なものを渡して、向こうの大切なものをいただくっていうのが基本でしょ?だからどんな商売でも、それが僕はビジネスの基本だと思っているので。だからこれは今後も変わらないと思う。どんなAIやITの時代だと言っても、それは変わらないと思いますね。
名言!会長は一歩引いて見てみて、今後のボーンフリーに期待していることってありますか?
あ:基本というか、柱の部分さえブレなければどんなことをしても良いと思うんですよ。柱というのは精神的な部分、お客様に対する考え方とか。あと僕がやってきて、たぶん他の同じようなお店と違うのは、好きなことしかやらなかったということやと思うんですよ。売れようが、売れまいが。
あ:例えば昔、僕の友達から物凄く売れているサンダルのことを聞かされても、うちがやるべきものじゃないと思って、一切やらなかったんですよ。逆にアメリカのMAGICで紹介されていた、TOMS SHOESの「靴のない裸足の子どもたちに、一足売れたら一足靴をプレゼントする」っていうビジネスに凄く魅力を感じて。かと言って日本は誰も知らないし、だから僕はスタッフを巻き込んで、うちで取り扱うようにしたんですよね。売れてたでしょ?
売れてましたね!TOMS良かったですよね、今思えば。
あ:そういう風に人を巻き込まなかったら、自分ではできないんで人に頼ってばっかりですけどね。でも言えることは「嫌なことはしなかった、好きなことだけやってきた」っていうのは間違いないです。売れるとか売れないっていうのはその次なんで。売れなかったらどっちにしろ成り立たないんやけど、やれるだけのことをやって、売れたらそれはうちだけの価値になるじゃないですか。そういうのが大事だと思いますね。その時に一緒に行ったメンバーはみんな反対したけど、でも僕はやる!って言って始めたんよね(笑)
TOMS SHOESのコンセプトは、今の時代の考え方の先駆けでしたよね。
あ:SDG’sの一番最初は、その辺からだったんじゃないかなと思いますね。
堀江さんも次のボーンフリーとして、TOMS SHOESのような何かを見つけていかないとですね。
た:たしかに。ほんまに自分のやりたいことをやりたいように、仕事とも思わず楽しんで仕事をやってはったので。そういう会長の姿を見ていて、みんながそうできるといいなと思うんですよね。例えば一人一人が仕事をしていく上で、「こんなことをやりたい」とか、それこそ今の商品面にしても、「僕はこれをやってみたい」「ボーンフリーにこれを並べたい」っていうのは、バイヤーじゃなくても絶対あると思うんですよね。
た:だからそういう意味で一人一人が楽しめる状況、クレドの中に「会社と共に自分の夢を実現しよう」という項目があるんですが、それよりもこの10年ほどは組織づくりの方が強くなって、どんどん会社としての形がこう組織的というか、カチッとなってしまっていたので。今は少しずつみんなが働きやすい環境というか、やりたいことができる環境づくりを意識しているんですけど。僕がやりたいことももちろんですが、一人一人がやりたいことをもっと気軽に口に出せて「じゃあやってみようよ!」って、みんなが仕事を楽しむことができる会社にしていきたいですね。ゆくゆくは宇宙に進出したいなという野望もあります!月にボーンフリーのロゴをもっていこうと計画中です(笑)
一同:おおー。
スタッフが楽しんでいるところがお客様にも伝わって、それでお客様に「ボーンフリーは楽しい」って思っていただけたら良いですよね。
た:本当にそうですね。スタッフがそういう風に楽しんでいたら、絶対お客様にも何か伝わりますもんね。スタバの店員さんがなんとなく雰囲気が良いみたいな。
51年目を迎えて、みんなで楽しみながらやっていきたいですね!
あ:やっぱりボーンフリーは常に夢を追いかける企業でありたいと思うし、お客様はそれについてきてほしいなと思いますね。
た:僕もそうですけど、僕の世代はみんな真面目でどちらかというと「売上をどう作るか」っていうところを頑張るのがほとんどで、あんまり「面白がろう、楽しもう」みたいなところは外してしまいがちなので(笑)売上が一番大事なんですけど、なんかちょっとこう、遊び心も大事だなと今は思います。僕の理想はBEAMSみたいな、ああいう感じの企業にできるのがやっぱり一番、働いてるのも楽しいでしょうし、周りから見ていても楽しいでしょうし。で、それで利益が出てっていう。それって凄く良いなと思いますね。
ボーンフリーがメディアになっていくような感じが良いですよね。
た:そうですね。まあ僕は下手くそなんでアレですけど…(笑)
みんなでやっていきましょう!今日は2人で仲良く飲みに行ってくださいね。
た:2人して帰って来られないと大変なので、それはやめておきます(笑)
一同:いかんのかい!(がんこ親子やなぁ)
今月は、ミスター・ボーンフリーお2人の対談をお届けしました。2人で飲みに行く日がやってくると良いなと思います(笑)これからも、ボーンフリーは色々な「楽しい」をお届けして参ります!51年目も、どうぞよろしくお願いいたします♪
来月のスタッフヴォイスもお楽しみに!